Monthly Archives: 6月 2014

2014-6-24

Posted by wpmaster on 6月 24, 2014
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『8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心』の推薦文を書いて下さったヒロシマ平和文化センターの小溝恭義理事長にお礼に伺いました。第一次世界大戦勃発のきっかけとなったサラエボ事件の100周年記念式典で、被爆したイチョウの木を植樹されるなどのご出張直前に時間を取って頂き恐縮でしたが、また素晴らしいお話を伺うことができ、感心感嘆の連続でした。前クウェート大使でいらして、海外での外交経験と賢智が素晴らしく果てしなく豊富でいらして、学びたいことが山ほどあります。

今春、二人のノーベル平和賞受賞者、 レフ・ワレサ ポーランド前大統領とコスタリカのアリアス前大統領が、相次いで広島平和記念公園と資料館を訪れられた時のお言葉についての理事長のリフレクションを書かれた記事を見せて頂き、深く感銘しました。広島平和記念資料館メールマガジンNo. 131

(2014年6月2日号)

 

37小溝理事長

2014-6-23

Posted by wpmaster on 6月 24, 2014
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『はだしのゲン』の作者、(故)中沢啓治さんの母校である広島市立神崎小学校で、ヒロシマと許すこころについて平和学習の講演を父と一緒にしました。小学校5、6年生140名が固い床の上に座ったまま、ごそごそもせず、一生懸命聞き入ってくれました。普段は発表しない子達も含めて、何人かの子供達が純粋で素朴な質問を被爆者である父にしてくれ、話をよく分かって聞いていたことが明らかでした。子供達の多くは、何かを感じ取ってくれたように思います。何か大事なことが印象にのこり、今後の人生に良い影響を与えてくれたらなというのが願いです。神崎小学校は情緒教育とキャリア教育にも力を入れているということで、普段の教育の質の高さが子供達の行動や態度の至る所に見受けられました。私とすれ違った女子2名は、誰も見ていないくても、こころのこもった明るくはきはきとした「こんにちは!」と挨拶を返してくれ、とても感心しました。
そして、子供達から感謝の気持ちを込めて、私たちに思いがけないプレゼントがありました。「地球星歌〜笑顔のために〜」という世界平和を願う歌の二部合唱です。小学生とは思えないほど上手でとても気持ちがこもっており、感動して涙が出ました。

 

36 神崎小学校

2014-6-22

Posted by wpmaster on 6月 22, 2014
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広島は雨がたくさん降っています。

 

20日の朝、成田から羽田に向かうチャーターバスからしげしげとした深い緑の濃淡がとても印象深く、雨は天の恵みと実感しました。サンディエゴは砂漠が海岸まで迫っているところで、地中海式気候のこの上なく心地よい晴天だけど蒸し暑くない日がほぼ毎日ですが、干ばつで大きな山火事もありましたし、緑が少ない!カラッとして快適なものの(気温が30度以上でも日陰はスッとしているので、ほとんどクーラーが要りません)、小川や滝がないのが寂しく、芝生もすぐに枯れてしまいます。

 

コップ半分の水を見て、「こんなにのどが乾いているのに、なんで半分しかないんだ!」と憤る人と、「ああ、のどが乾いてるからこの水がありがたい!」と感謝して水を頂き潤いを噛み締める人とでは、雲泥の差があります。
原爆投下後の真夏の日々に、大やけどをした人たちは「水を」「水を下さい」とほとんどの人がない水を求めていたそうです。その苦悩は想像を絶するものです。雨が降ると不都合はありますが、水はあらゆる面で大きな自然の資源であり、ありがたいことだと実感します。

 

34 緑

2014-6-21

Posted by wpmaster on 6月 22, 2014
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「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」の実物が届きました!感動です!FFHの皆様、サポーターの皆様、応援をいろいろとありがとうございました。予想を遥かに越えた良質の仕上がりです!7月10日発売開始ですので楽しみにしていて下さい。

2014-6-20

Posted by wpmaster on 6月 22, 2014
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ロスからの成田行きが大幅に送れ、到着した時には既に乗り継ぎの広島便はとうの昔に出発した後。仕方なく成田に一泊して、予定よりも15時間遅れて広島到着しました。思ったより、涼しいですね。でも、湿気は高い!
今日はメディア3社との打ち合わせがびっしりでした。皆さん父の話に聞き入って深い興味を示して頂きました。

2014-6-18

Posted by wpmaster on 6月 18, 2014
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いよいよ(又)帰国です。日本で出版と出版記念行事の準備を全身全霊を込めて眠る間も惜しんで力を入れてくださっている講談社エディトリアル編集部の方々とフォーギブネス・フロム・ヒロシマ(FFH)の方々に心からお礼を申しあげます。広島で出版記念行事の準備をしてくれている家族や知人にも心底感謝しています。注目をしてくださっているメディアの方たちも、ありがとうございます。

 

一人でも多くの方に「8時15分 ヒロシマで生き抜いて許す心」を読んでいただいて、話し合い語り継いでいただき、平和を願うだけでなく、私達には具体的に何ができるのか、自己理解を深めることと家族で手を取り合うことから始めていただきたいです。特に教育者の方たちや、企業、組織、地域のリーダーの人たちには是非読んでいただきたい一冊です。

 

7月8日発行、7月10日より全国の書店とアマゾンでお買い求め、または注文いただけるそうです。
英語版 “Rising from the Ashes: A True Story of Survival and Forgiveness”はLuLu.com, アマゾン、iBookなどでお買い求めいただけます。

 

33 英語版

2014-6-17

Posted by wpmaster on 6月 17, 2014
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私は以前アリゾナの砂漠のど真ん中に住んでいたことがありますが、道端の石の上で卵焼きが出来るほど、摂氏50度近くにもなる想像を絶する暑さが6月から10月初旬まで続き、文化的にはまるで柵のない刑務所のようでした。だだっ広い砂漠を東西南北どちらに車で走っても、最低200kmは日本食はおろか中華料理さえありませんでしたし、店で売っているのはアメリカ式インスタントのパサパサの米と大昔に見たことはある粉の味噌汁ぐらいでした。今は、世界を飛び回っている私も、当時は「砂漠の炎天下でタイヤがパンクしたら…」と怖くて一人で運転して町を出ることもできませんでした。日本人の知人は庭に日本のきゅうりやなすびをせっせと植えてしのいでいました。飽食の時代に、日本食に限って言うとまるで戦時中のような状態だったのです。(あわやひえもありませんでしたが。)

 

日本に住んでいる現代の日本人には想像もできないでしょうね。

 

「8時15分 ヒロシマで生き抜いて許す心」の中に、戦時中は米どころか食べ物がろくに手に入らず日本中が飢えに苦しんでいた上、原爆投下後は、食べるものも飲み水も一切無く数日を過ごした様子が描かれています。そんな中で地獄のような何週間か経ち、郊外に住む親切な友人家族が本物の白米のご飯と梅干を入れた「日の丸弁当」を主人公達に持ってきてくれる場面があります。
私の本をベースにしたハリウッド映画『8時15分』(制作準備中)の最初の脚本は、この場面が「湯気が立ち上るほかほかの白米と梅干をスプーンで口に入れると、強烈な甘い味が口いっぱいに広がった。」となっていました。本の主旨を心底理解してくれているイギリス人のプロデューサーとアメリカ人の脚本家で、当時の日本文化や社会情勢もなるべくリアルに描きたいと「日の丸弁当」に関してのリサーチはかなりして勉強してくれていましたが、現代人ですし、記述を読んだだけでは、これが想像力の限界だったのでしょう。「白米は室温で、梅干は強烈に塩辛く酸っぱいのよ。」と説明してその部分を直してもらいました。次回ハリウッドにミーティングに行く時は日の丸弁当を作って持って行って食べてもらおうと思います。きっと、食べれないでしょうね。。。

35 日の丸弁当

2014-6-16

Posted by wpmaster on 6月 16, 2014
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サンディエゴでこのようなすごい和朝食が食べられます。おかずは20種類以上の中から好きなだけ選べ、お値段もお手ごろなので和食ファンのアメリカ人もびっくり。

 

留学や駐在に付いて来られた家族は、英語が不自由だったり、生活様式が違う、様々な常識が違う、子供のバイリンガル教育をどうするかなどで苦労をする人も多いですが、私が知っている世界の都市の中でサンディエゴに来ることができる人は一番ラッキーだと思います。ロサンジェルスの方が日本人や日系ビジネスは断然多いですが、ロサンジェルスは広がりすぎているのと交通渋滞が多すぎて、サンディエゴの気候や自然ほどの美しさは身近にはあまりありませんし、いろいろな面で生活にはサンディエゴの方がずっと便利ですね。

 

日本食スーパーやレストラン、日本語のコミュニティー紙、日本語で利用できる医院、美容院、車屋さんやお店なども揃っているのですが、その分英語を学ばなくても生活できてしまうという事実もあります。このように物事には利点と難点が共存するので、どちらに重点をおくかは私達各自次第です。
以前ルーマニアのクルージュ・ナポカで大学の日本語の先生(日本人女性)にお会いした時、「この前どうしても食べたかったのでおでんを作ってみたけど、練り物無し、こんにゃく無しで寂しかったわ。。。」とおっしゃっていました。一体何をお入れになったのでしょう?でも、クルージュ・ナポカでは何故か店舗の広い日本の有名百均を見つけてびっくり。ルーマニア人は日本の灰汁とりや爪楊枝要れを用途は分からないまま飾りにしたりするのだそうでした。

31 和朝食

2014-6-15

Posted by wpmaster on 6月 16, 2014
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今日は父の日。フォーギブネス・フロム・ヒロシマ(FFH)が推奨してくれている私の著書「8時15分 ヒロシマで生きぬいて許す心」の主人公である私の父は大正15年生まれの88才です。原爆とその後の混乱を生き抜き、お陰さまで現在大病もなく毎日仕事に励んでいます。毎朝目が覚めると「今日も仕事ができる。」と思うとうれしくて、これまで支えてくださった皆様や自分が健康でいられることに感謝の気持ちでいっぱいで、一日が始まるのだそうです。

 

自宅屋根の上での直接被爆によりあれだけの大火傷や大怪我をし、麻酔も痛み止めも抗生物質もなく真夏に体が腐っていく究極の苦痛と、家族も家も仕事も健康も全て無くし悲嘆のどん底から這い上がった父ですが、これほど幸せな人もめったにいません。どん底から這い上がったからこそ、小さな事も決して当たり前とは思わず、全てに感謝の気持ちが湧き出てくるのでしょう。

 

アメリカを恨まず、そのために「裏切り者」と他の被爆者に責められることがあっても、物事の多面性を理解しようとする勇気と知恵を自らの生き方で示してくれた父です。
お父さん、ありがとう。

32 父と章子1961

 

 

2014-6-14

Posted by wpmaster on 6月 15, 2014
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1995年からスクールコンサルタントとして教育相談をしていた、サンディエゴの日本語補修校みなと学園の運動会に来賓として招待していただきました。小学校一年生から高校3年生まで、400名近い児童生徒が、月曜から金曜までは現地校に通い英語で勉強をし、土曜日一日で文科省の一週間分の教科学習をこなすというとても大きなチャレンジです。まるで日本にいるかのような卒業式や運動会があり、懐かしくて感動します。応援合戦では中学3年生が猛練習したダンスの成果を見せてくれました。
FFHやサンディエゴ・ウィッシュでも、このように国境を越えて学ぶ子供たちに平和のための情緒教育を推進していければいいなと願っています。

28運動会