2014-6-17

Posted by wpmaster on 6月 17, 2014
Dr.Mikamoブログ

私は以前アリゾナの砂漠のど真ん中に住んでいたことがありますが、道端の石の上で卵焼きが出来るほど、摂氏50度近くにもなる想像を絶する暑さが6月から10月初旬まで続き、文化的にはまるで柵のない刑務所のようでした。だだっ広い砂漠を東西南北どちらに車で走っても、最低200kmは日本食はおろか中華料理さえありませんでしたし、店で売っているのはアメリカ式インスタントのパサパサの米と大昔に見たことはある粉の味噌汁ぐらいでした。今は、世界を飛び回っている私も、当時は「砂漠の炎天下でタイヤがパンクしたら…」と怖くて一人で運転して町を出ることもできませんでした。日本人の知人は庭に日本のきゅうりやなすびをせっせと植えてしのいでいました。飽食の時代に、日本食に限って言うとまるで戦時中のような状態だったのです。(あわやひえもありませんでしたが。)

 

日本に住んでいる現代の日本人には想像もできないでしょうね。

 

「8時15分 ヒロシマで生き抜いて許す心」の中に、戦時中は米どころか食べ物がろくに手に入らず日本中が飢えに苦しんでいた上、原爆投下後は、食べるものも飲み水も一切無く数日を過ごした様子が描かれています。そんな中で地獄のような何週間か経ち、郊外に住む親切な友人家族が本物の白米のご飯と梅干を入れた「日の丸弁当」を主人公達に持ってきてくれる場面があります。
私の本をベースにしたハリウッド映画『8時15分』(制作準備中)の最初の脚本は、この場面が「湯気が立ち上るほかほかの白米と梅干をスプーンで口に入れると、強烈な甘い味が口いっぱいに広がった。」となっていました。本の主旨を心底理解してくれているイギリス人のプロデューサーとアメリカ人の脚本家で、当時の日本文化や社会情勢もなるべくリアルに描きたいと「日の丸弁当」に関してのリサーチはかなりして勉強してくれていましたが、現代人ですし、記述を読んだだけでは、これが想像力の限界だったのでしょう。「白米は室温で、梅干は強烈に塩辛く酸っぱいのよ。」と説明してその部分を直してもらいました。次回ハリウッドにミーティングに行く時は日の丸弁当を作って持って行って食べてもらおうと思います。きっと、食べれないでしょうね。。。

35 日の丸弁当

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