米国「平和を願う退役軍人の会」
子供を助けられなかった親、
「異文化の人間関係における許すこころ」についてインタビュー録画しました(英語)。
動画はサンディエゴ心理学会のHP、サンディエゴ・ウィッシュのHP (www.sdwish.org)、美甘章子のフェースブックページ(https://www.facebook.com/drmikamo/)などで近日アップされます。
さまざまな場面で人間関係の改善に役立つ内容になっています。
ニューヨーク国連本部内にある特派員協会で記者会見をしました。
”Rising from the Ashes ; A True Story of Survival and Forgiveness from Hiroshima” で語った広島の被爆の様子、両親の物語、国連に永久貸与した祖父の形見の懐中時計が盗難にあったことなどを説明しました。ケニア、イタリア、フランス、ベトナム、インド、ブラジル他の国々、日本のテレビ局および新聞社、共同通信など多くの記者が参加してくれました。会見だけでなく、被爆展示場でのインタビューや撮影もしました。26年半ぶりに行った国連で格別な感慨にひたりました。
会見の様子は下記で公開されています。
「ゴールデン・ルール」平和クルーズ
1958年に真最中だった空中核実験を阻止する人間の壁となるために、4人のアメリカ人平和主義者の乗組員を乗せてビキニ諸島周辺を目指してカリフォルニアを出航した9メートルの小さな帆船「ゴールデン・ルール」(「自分がされたくないことは他人にしないようにしようという普遍の黄金律」)はハワイ沖で海上保安隊に逮捕され乗組員は投獄されてしまいました。この事件が世界で核実験反対運動に火をつけ、1963年にモスクワで調印された「大気圏内、宇宙空間および水中における核兵器実験を禁止する条約」につながりました。
その後、行方不明になっていた「ゴールデン・ルール」は嵐で沈没し大破したまま野ざらしになっているのが北カリフォルニアのスクラップ・ヤードで発見されました。2010年から5年間をかけて「平和を願う退役軍人の会」(VFP)のボランティア達が手作りで復活させたのです。
蘇った「ゴールデン・ルール」今年7月後半に北カリフォルニアを出航し、VFPの総集会が行われるサンディエゴに広島原爆70周年記念日の前に入港しました。
1958年当時28歳で、オリジナルの乗組員最後の生存者オリオン・シャーウッド氏(現在85歳)と「8時15分」の著者美甘章子はVFP総集会開催中毎日対談し、8月15日の終戦記念日に現在の乗組員4名と被爆者河村幾之助氏とVFP会長のバリー・レイドンドーフ氏、そしてアフガン戦争で両足を膝上から失うも18ヵ月後に義足で世界7最高峰の一つキリマンジャロ登頂に成功した平和唱道家のマーク・ザンボン氏を伴って平和クルーズを行うことになりました。
アメリカでは終戦調印式が行われた9月2日が終戦記念日とされており、イギリスと同様に8月15日はVJ Day (Victory over Japan Day, 対日勝利の日)とされ祝い事も行われます。実際に、平和クルーズが行われたサンディエゴ湾内に常設された戦艦USSミッドウェー博物館ではVJ Dayを祝う大掛かりなパーティと花火の打ち上げが同時に行われていました。
年代や体験は違っても平和を願う思いは一つの私達は、ゴールデン・ルール船長の指導でそれぞれ舵をとらせていただき、美しいサンディエゴ湾上をゆっくりと二時間ほどクルーズしました。
今後10年間、「ゴールデン・ルール」は大量殺戮兵器(Weapon of Mass Destruction)ではなく大量教育ツール(Weapon of Mass Education)として各地を回って平和教育や西海岸沖の放射能値計測リサーチなどの活動を続けていくそうです。1958年に果たせなかったマーシャル諸島到達も、今度は核実験阻止目的ではなく平和唱道目的で目指しているとのことで、是非日本にも寄りたいのだそうです。
ゴールデン・ルールの活動に賛同される方は是非応援してください。
http://www.vfpgoldenruleproject.org(ゴールデン・ルール・プロジェクトHP, 英語)
【オリオン・シャーウッド氏と】
【ゴールデン・ルール外観】
【河村氏とVFP会長のレイドンドーフ氏(後列右)、平和唱道家のザンボン氏(後列左)】
「平和を願う退役軍人の会」総集会 晩餐会
「平和を願う退役軍人の会」総集会の晩餐会に来賓として「8時15分」の著者美甘章子が招待されました。
美甘章子が代表をつとめるNPOサンディエゴ・ウィッシュ~世界平和を願う会特別顧問で広島被爆者の河村幾之助氏がゲストとして紹介されました。「ここに、我々が知る限りではサンディエゴ在住唯一の広島被爆者が来てくださっており、我々全員の最高の敬意を表したいと思います。」とエグゼクティブ・ディレクターが会場に声をかけると全員総立ちで「よく生存してくださった。世界平和への貢献をありがとう。」と敬意と感謝の念がこもった拍手が河村氏に送られました。
晩餐会の基調講演は、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件を暴露して、ジャーナリズムの最高栄誉であるピュリッツァー賞を受賞したアメリカの調査報道記者シーモア・ハーシュ氏でした。CIAの国内スパイ事件、ロッキード事件の始まり、ソ連原潜回収作戦、大韓航空機事件の内幕、ウォーターゲート事件などアメリカ近代史上の大きな事件の数々をスクープしてきたシーモア氏は美甘章子と同席し、「8時15分」の英語原著Rising from the Ashes: A True Story of Survival and Forgiveness from Hiroshimaをコースの合間にすぐに読み始めるほど感心し、深い関心を示されました。
【ハーシュ氏】
「平和を願う退役軍人の会」総集会 最終日 「和解」フォーラム
サンディエゴ大学平和研究所講堂で行われた「和解」フォーラムは、被爆者の河村幾之助氏の挨拶で始まりました。被爆二世で「8時15分」の著者美甘章子、オリバー・ストーン監督脚本で、「プラトーン」「7月4日に生まれて」と並んでベトナム戦争3部作の最後の作品「天と地」(主演トミー・リー・ジョーンズ)の原作で自身の体験を綴った”When Heaven and Earth Changes Place”の著者レ・リー・ヘイスリップ、ベトナム系アメリカ人二世の社会学者タオ・ハー博士、ベトナム戦争帰還後多くの苦難を乗り越えて仏門に入ったクロード・アンシン僧、アメリカ先住民の伝統と日本の「気」を取り入れた治癒法と瞑想を教えるシルビア・オーロラがパネル講演者で、アメリカが史上行ってきた戦争の犠牲者などを代表して、退役軍人と「和解」すべく、自分や家族の苦悩やそれを乗り越えてきた道について洞察しました。
講演者それぞれのプライベートな内面での和解の道のりについてシェアーして欲しいというリクエストだったため、「8時15分」のなかで一部触れている、爆心800メートルで被爆して泣き言や不平は口にしなかった著者の亡き母、13歳の若さで被爆死した同叔母、二人の子供の被爆死についての罪悪感で死ぬまで自分を許せなかった同祖母、戦後障害を負う事になった同姉など、家族の中の女性の多くが背負ってきた苦悩や犠牲について静かに語り、参加者は大変深く心をうたれたと感想を述べていました。美甘章子は17歳の時に、母が縫ってくれた浴衣を着ました。他の女性達が果たせなかった夢や希望を一針一針に込められています。「今日は、自分のファミリーの女性全ての思いを身にまとって皆さんに個人的な内面の話をさせていただきます。」と『知』よりも『情』に焦点を置いた講演でした。
当日は長崎原爆70周年の記念日でした。講演会の後は、見晴らしの良い丘にある平和研究所の庭で、「恨みや苦しみを手放す儀式」として、自分が乗り越えたい事柄を参加者1人ずつが紙に書いて燃やし、ベトナム人たちが折った折鶴が風にゆれ、お経が唱えられる中、厳かな儀式となりました。
【平和研究所の庭での儀式】
【母の縫った浴衣をまとった章子と折鶴の写真】
【ベトナム系アメリカ人の参加者と折鶴】